それで一番最初に思いついたのが、旧ユーゴだった。幸い、ベオグラードで留学生活をしている友人がおり、これぞ千載一遇の機会と思って、訪れてみることにした。セルビアには、ビザンチン後期の貴重な壁画を有する教会や修道院が散在しており、ビザンチン美術を「生」で初体験することもできる。アドリア海の真珠、ドブロヴニクも近くだ。 そしてそれなら中・東欧をもう少し回りたいわけで、でまことに都合よいことに、日本の後輩の一人が去年からベルリンに留学していた。ベルリンとセルビアに行くなら、前から行きたかったハンガリーはそのまんなかだ。寄らないわけがない。さらに母親が友人と東京からベルリンとブダペストに来るらしいので、途中一部合流することにした。こうして、旅の前半が出来上がった。
旅の後半はスペインを選んだ。東欧だけで帰ってくると流石に日本の研究仲間に示しがつかないから、ではなく、最近勉強した作品―自分の専門分野ではないけれど―を実際に見てみたいというからだ。そして勿論、マドリードにはけんじさんがいる。だから必然的にマドリードと北スペイン―バスクと巡礼路の町々―という組み合わせになった。
最後のスイスは、ぶっきらぼうに言えば、たまたま一番安く手配できた航空券がスイスエアーだったからストップオーバーしてみただけ、なのだが、その割には、いい寄り道をした。私の研究人生のなかでは、必然の寄り道だったと思う。ええと、そう思え。
と、この旅行は五週間という長きに渡って、しかもやたらと複雑なかつ非合理的なルートを辿った。なので、どうしてそういう旅に出たかを説明する必要があると思い、プロローグを書いた。
帰ってきた今、今度こそ、もう二度とこういう自由気ままな旅は出来ないだろう、と思っている。でもそのつもりで旅に出たから、この旅で、多くの人に出会い、多くの貴重なことを見、体験し、学んだ。いつかこの幸せな体験を、自分の血肉とし、豊かな実をつけるための滋養とすることが出来るよう、精進したい。
最後にこの場を借りてこっそりと、学校に寛大なる奨学金を寄せた某富豪氏に御礼申し上げる。またベルリン、ベオグラード、マドリードでそれぞれ世話になった友人各位にも、もう一度御礼を言いたい。一人くらいNYに来てくれないかしら。
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